昨日友達とお茶していたときに
「今、幸せ?」と聞かれたのだった。
過去に何度か考えてみたことがあったけれど
幸せの定義というのはやはりあってないようなもので
この問いに答えること自体がある意味ナンセンスだが(笑)。
結局Yes,Noでなく
「私は自分が幸せじゃないと思ったことなんて無いに等しい」と、
そう答えたのだった。
ある意味言い換えれば
「私は自分が幸せだと思ったことなど無いに等しい」という答えと
限りなく近いんじゃないかと思う。
けれど私は、自分が不幸のど真ん中だと嘆くことはしたことがないし
人と比べて自分を見ることも少ない。
だからこうやって生きていられるんだろうけど(笑)。
おかげで人に気をつかっているようでいながら、
意識して注意力を払わないと
周りがどうでもよくなって、
下手をすればそれが人を滅茶苦茶に傷つけてしまうこともある、
非常に自分勝手な人間だったりする。
それで何度時間を戻したいと願ったことやら。
そんな時間の流れに
感情の絶頂はあっても、果たしてそれが幸せなのか。
このまま時が止まって欲しいと思った瞬間はあっても
果たしてそれが幸せだったかというのは未だに解らない。
確かにその時の自分は
「あぁこれが幸せってものなのかなぁ」と、そう思ったものだが。
今になって思うと、やっぱり幸せってよく解らない。
瞬間なのか、連続するものなのか、
時間にしばられるものでもないものなのか。
でもそう思えてるってことは
幸せなんだろうなぁ、多分。
…と何となく思うだけ。
何となく思い出したのが
「流れ星ワゴン」という小説。
主人公の家庭崩壊してリストラされたサラリーマンが
過去の本当は大切だったはずの瞬間に
時間を戻していく。
戻した時間の中で、彼は自由に動ける。
そうして過去のその瞬間に「こうすれば良かった」ことを
一つ一つ果たしていく。
その先の、どうでも良くなった環境に戻らないように。
けれど最後に、結局戻せなかった状況の
もう自分の存在すら望んでいなかったところに
戻ることを選んだのは、
その状況すらも超えた、
そこに辿り着くまでに切り替わった心だったという。
そんな感じの話。
…よく解らない説明だな(遠い目)
まぁ何が言いたかったのかと言えば
不幸だとか幸福だとかいうのは
状況じゃなくて、いつだって気の持ちようだと
何となくそう思うのだ。
さ、HEYx3見てこようーっと(笑)。
「今、幸せ?」と聞かれたのだった。
過去に何度か考えてみたことがあったけれど
幸せの定義というのはやはりあってないようなもので
この問いに答えること自体がある意味ナンセンスだが(笑)。
結局Yes,Noでなく
「私は自分が幸せじゃないと思ったことなんて無いに等しい」と、
そう答えたのだった。
ある意味言い換えれば
「私は自分が幸せだと思ったことなど無いに等しい」という答えと
限りなく近いんじゃないかと思う。
けれど私は、自分が不幸のど真ん中だと嘆くことはしたことがないし
人と比べて自分を見ることも少ない。
だからこうやって生きていられるんだろうけど(笑)。
おかげで人に気をつかっているようでいながら、
意識して注意力を払わないと
周りがどうでもよくなって、
下手をすればそれが人を滅茶苦茶に傷つけてしまうこともある、
非常に自分勝手な人間だったりする。
それで何度時間を戻したいと願ったことやら。
そんな時間の流れに
感情の絶頂はあっても、果たしてそれが幸せなのか。
このまま時が止まって欲しいと思った瞬間はあっても
果たしてそれが幸せだったかというのは未だに解らない。
確かにその時の自分は
「あぁこれが幸せってものなのかなぁ」と、そう思ったものだが。
今になって思うと、やっぱり幸せってよく解らない。
瞬間なのか、連続するものなのか、
時間にしばられるものでもないものなのか。
でもそう思えてるってことは
幸せなんだろうなぁ、多分。
…と何となく思うだけ。
何となく思い出したのが
「流れ星ワゴン」という小説。
主人公の家庭崩壊してリストラされたサラリーマンが
過去の本当は大切だったはずの瞬間に
時間を戻していく。
戻した時間の中で、彼は自由に動ける。
そうして過去のその瞬間に「こうすれば良かった」ことを
一つ一つ果たしていく。
その先の、どうでも良くなった環境に戻らないように。
けれど最後に、結局戻せなかった状況の
もう自分の存在すら望んでいなかったところに
戻ることを選んだのは、
その状況すらも超えた、
そこに辿り着くまでに切り替わった心だったという。
そんな感じの話。
…よく解らない説明だな(遠い目)
まぁ何が言いたかったのかと言えば
不幸だとか幸福だとかいうのは
状況じゃなくて、いつだって気の持ちようだと
何となくそう思うのだ。
さ、HEYx3見てこようーっと(笑)。
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